真昼の月


真昼の月

真昼の月は人に愛でられることもなく、薄い影のようにおぼろげに浮かんでいる。
文化と呼ばれるものの多くは、その制度と様式が長い歴史の内に疲れ、様々な人の思惑に絡み捕られているうちに次第に薄くなります。そして今、押し寄せる変化に旧来の文化や制度が拠って立つ場を失いかけている事は、周知のことと思われます。
「茶の湯」の文化も例外ではないでしょう。私には「茶の湯」の姿や本来の意味は見えにくく、時代劇のひとコマとしてや、女性の習い事のひとつというような大雑把なイメージしか浮かびませんでした。おおよそ4百年前に確立したと言われている「茶の湯」が、待合、露地、茶室といった建築物や庭、取り揃える道具、活ける花、掛ける軸に至るまでその総てが、芸術と教養の表現現場であったことは想像できます。ただ、その表現活動が、どのように今に結びついているのか僅かな知識から汲み出すことは困難でした。
お茶室と作品を合わせるという企画に対し、戸惑いを感じながらも試みよう思ったのは、途切れがちなアウトラインをなぞりながら、今を生きる私を座らせて、長い歴史の間に現代との接点が埋没してしまったかのような、「茶の湯」のおぼろげな形を見てみたいという思いからです。そのお茶室は近代的な美術館の中、ガラスと鉄とコンクリートに仕切られた一角に在りました。
今回、私は美術館そのものを露地にみたてました。露地が茶室に至るまでに日常をそぎ落とす通路としてあるのなら、美術館はそのまま人が日常を離れることのできる場所として、現代の露地ではないかと思ったのです。中庭には「静かに動き続ける」という作品を置きます。茶室の入り口へ向かうスロープから眺めることの出来る位置にそれは在ります。
茶室には四畳半のサイズに不釣合いかと思われるような大きな作品が、ごろりとしています。そして、茶室のすぐそばのテラスにもごろりと、もうひとつあります。「月を喰む」、「月に寝る」という作品です。
ここ数年、生活と制作の場であるクヌギ林の住まいから“日々出会うかたち”を抽出して作品のモチーフにしてきました。このことは私に、まわりを見つめる目と気配を感じる感覚を少しずつ深くしてくれている様に思えます。その感覚のままに茶室に身を置きながら、四畳半の限られた空間に要素を簡素に取り入れ、そこに宇宙を感じて来たいにしえの人々の想像力に思いを馳せて佇むことは、私にとって楽しいことでした。日常の抽出から始まる作品作りは、粘土を毎日積み上げるという繰り返しの中で徐々に姿を現し、現実の形になって戻ってくる。私の生活はあたかも、露地のような通路を通りながら現実と想像を行ったり来たりしています。粘土を積み上げることから焼き上げて大きな作品に組み上げて行く工程は、長い時間を要します。その掛かる時間と生活は、渾然一体となって私の日常になります。“作るという日常”と“想像”の間の通路を開くことで、“いにしえ”と“現在”の通路を行き交うことが出来るのではないかというほのかな望みを抱いて、続けたのです。
「月」は古くから歌に詠まれ、物語に幾度も書かれて来ました。お茶の世界でも「月」は特別な存在だと伺いました。ほんの少し前まで、月は夜道を照らす灯りとして、あるいは書物を読むときの手助けとして、重要であり身近であったのでしょう。そんな月が今、煌々と明るい街の中で、その存在が薄くなっているように思えます。長い歴史を持つ茶の湯という「文化の月」と「現代の空の月」、二つを象徴する言葉として今回、「真昼の月」というタイトルを展覧会名にしました。けれど、月は人々の目に映ろうが映るまいが、毎日昇る、見えなくとも存在する、こちらの受け止め方の問題なのかもしれません。
薄暗い茶室に浮かぶ人々と物との寡黙な集いを想像し、暗闇と静寂を消しつつある現代との間に流れる時間の長さを計りながら、作品を傍らに暫し「真昼の月」を眺めていたい。

中井川 由季

山口県立萩美術館・浦上記念館 2003