森にかくれる

森にかくれる

この作品集は、六甲山にある「DOKIROKKO」の建物周辺の広大な森に、初期の仕事から現在までの作品を六甲の自然に寄り添わせ、森と作品との出会いを記録したものです。

私の生まれ育った故郷は、畑と藁屋根が点在する平らな地形の向こうに小高い丘のような山が続いている農村でした。友達との遊び場は畑や田んぼ、小川、農家の広い庭でした。蚕を飼っている家で桑の葉を蚕に与える遊び、夏の虫取り、蛍狩り、秋の稲刈り時の脱穀の匂いと埃っぽさ、牛に追いかけられて怖かった出来事、飼っている鶏を父がさばいて母が料理して食べた思い出、近所のヤギに噛まれそうになった事など、今では誰も想像がつかないような生活でした。この経験が私の細胞を作り、骨格や肉を形成しているのではないかと思う時があります。その事はまた、意識の底に深く堆積しているような気がします。明瞭ではない記憶の底から「触れた何か茫漠としたもの」を汲み上げて制作し、作り終えた作品と向き合う事は、過去から今が照らされて、自分の内面が透過されるような感覚があります。

故郷を離れから十数年後、今から30年前に、筑波山中腹に内藤廣さんに設計をお願いして家を建てました。木造二階建ての一階部分が工房、二階が住まいという建物は、傾斜地のクヌギ林の中にあります。大きな梁と登り垂木の吹き抜けの天井は構造が葉脈のように美しく、その下に暮らしが包まれています。豊かな空間の中で生活し、常に静かな刺激を受ける日々が「作ること」の支えになっていると思います。

移り住んだ筑波山には故郷の平坦な土地とは違う環境があります。家の傍にあるクヌギ林には多様で奇妙な生き物達がうごめいています。長く住んでいても季節の変化に身を置いた生活は飽きることがありません。すべての葉に日差しが届くように成長しているクヌギの幹と枝の構造、苔や菌類の多様さ、下草の小さな花、そこに集まる虫たち、鳥、それらは密接に絡みあって、小さい世界から、より大きな世界へと繋がっています。そこで出会う美しくもグロテスクな形の発見と故郷での出来事の一つ一つは、複雑に絡み合い、糸のように遠い過去から現在にかけて撚られて、作る「かたち」の原型になります。

長い間、焼き物を素材にして作品を作ってきました。不如意を受け入れることから、焼き物での仕事は始まります。
粘土を紐状にして、底から粘土を一段ずつ積み上げる手捻りという方法で造形し、乾燥、化粧掛けを経て窯で焼成して硬質な焼き物にします。「やきもの」は段階に従い材質に変化があります。特に制作に時間がかかる大きな作品を作る場合、柔らかい粘土を積み上げる時は容易に形を変形させる事が出来ますが、急ぎすぎれば下部の粘土がヘタって潰れてしまい、無理に力を加えるとヒビの元になります。また、乾きすぎれば次の粘土が付きにくくなり、成形が困難になります。天候に左右されるため、制作のペースはゆっくりだったり、急かされたりと一応ではありません。乾き具合を見ながらカンナ(焼き物で使う道具)で表面に削り跡を付ける時、顔料や釉の成分を入れた化粧土の濃淡を決めて刷毛で塗り重ねる事、そして還元焼成、焼成後の硬くなった焼き物の加工と組み立てなど、長い期間、作業を進めていきます。その間、作る行為と向き合い、形を眺め、素材が変質して戻れない事に迷い揺れながら、完成まで持っていかなければなりません。

この3年は不如意の連続でした。自然は、あらかじめ自分たちで決めていた予定に従い日々を送る事を許しませんでした。目には見えないウイルスに揺さぶられ、否応無く自然界の深淵を覗く事になりました。
空気も水も食物も人工物の素さえも自然からいただいています。自然はいつも惜しみなく恵みを与えてくれますが、時に人々に容赦無く襲いかかり、命を奪い、家を破壊します。その場に居合わせれば、自分達が自然の力に抗うことの困難さに直面し、自然の仕組みの中に生かされている事を痛感します。自分の意志では防ぎ切れない病、やがて訪れる死など、身体の中の自然もまた、切り離す事ができないものでしょう。

私が使う粘土もまた、混合されているとはいえ自然から来た物です。いかような形にもなる柔らかな物質(粘土)はこちらの作用で輪郭を表し、立ち上がっていきます。焼成すると硬質な物質(焼き物)へと変化して元通りの土に還ることはありません。素材に意思を押し付けるだけではなく、素材から「作ろうとしているもの」が引き出されて、目の前にある作りかけの形とのやり取りを繰り返しながら作って行きます。自身で作って存在させた物体(形)に見つめ返され、問われ続ける圧にたじろぎながらも、次へ向けてまた体を動かすのです。

中井川由季

作品集「森にかくれる」2023.10